スーパーの買い物袋を下げている時、袋の中身にキャベツや大根が入って重たいなと思う。重たいから、じゃあどう持とうか。指先で握る、手首に引っか ける、曲げた肘にかける、思いきって肩まで上げちゃう。全部、重さは変わりますよね。物理的な重さは変わっていないのに、重さの感覚は変わる。重たい物は 軽く持つことができるんです。
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ところが、私たちは自分のクセで、いつもの場所に持ってしまう。そして袋の中身を考えて「重たい、重たい」と連発する。身体と仲良く付き合うためには、 まず、いつのも場所がどこなのか、自分のクセに気付いていくことから始まるんですね。それから、その日の自分と荷物において、どこで持つと程良い関係にな るのか探ってみる。指で持つなら、どの指に気持ちを向けたら軽く感じるのか、どの指で持つと逆に重たくなってしまうのか、その指は身体のどことつながりが ありそうなのか。そして、その指を観ている私は誰なのか……。もう、観ているのは目玉ではないでしょう?
すると、日本の文化にも「重たいものは軽く持つ」「軽いものは重たく持つ」という工夫があちこちにされていることにも気付いてくる。外側の形だけ見てい
ても分からなかったことが、自分の内側に眼を向けることで、型に潜む感覚に出会える。または、その感覚に添って発生した動きにのっていった時には、美しい
型になるという不思議さもある。つまり、それは必然としてのフォームだったと。否応なく、日本人の血が流れている身体を持つと、その独特の身体感覚が育ん
だ日本の文化、型と共にある自然観って、スゴイなと思う。